土谷正実(つちやまさみ)の両親は?

オウムに入り、他人に迷惑をかけ始めた息子。

過去、そんな息子を教団から奪還するために尽力した両親の姿があった。

 

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土谷正実の生い立ち

1965年1月6日-2018年7月6日没
東京都町田市出身
学歴:筑波大学大学院科学研究科修士課程修了、博士課程中退

 

中学、高校時代は明るく活発、ひょうきんでクラスの人気者。

同級生や後輩にも慕われており、

東京都立狛江高等学校ではラグビー部に所属。

中心選手として活躍した。

女性とも交際していたという。

 

ニックネームはつっちー。

 

 

高2の時にイオン化傾向に興味を持ち、科学を勉強し始め、学年トップに。

非常に優秀な頭脳を持っていたことがうかがえる。

人間が一生のうちに脳細胞を数%しか使わないまま死んでいくことを知り、ショックを受ける。

そんな時に、テレビでヨーガを知り、漠然と興味を抱く。

 

 

1984年、筑波大学第二学群農林学類へ進学。

大学でもラグビー部に所属。

しかし、早々にケガを負い、5月には退部。

自暴自棄、酒浸りの生活が始まる。

 

 

このうまくいかない時期に、

「この気持ちを合理的に説明するのは宗教だ」

「新たな価値観を提示する団体が登場したら所属しよう。それまでに得意な化学の能力を伸ばしておこう」

と考えた。

 

 

1989年2月、同乗していた車が交通事故にあい、むち打ち症になる。

医者のすすめで、水戸市内のヨーガ教室へ通い始める。

4月に友人から麻原彰晃説法会に誘われた。

 

 

教団の教え通りにヨーガを練習、椎間板ヘルニアが治ったり、神秘体験を経験。

オウムにのめりこんでいく。

 

 

大学院科学研究科に進学。

博士課程に進んだが、オウムにのめりこんで研究室に通わなくなり、1993年に中退。

 

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土谷正実の両親について

大学在学中、オウムへ入信したことを母親に知らせている。

その際、

2リットルの塩水を鼻から入れて口から出したり、麻紐を鼻から口に通したりする修行をしているといったため、

母親は心配し、脱会するように説得した。

 

 

しかし、土谷は聞かなかったので、

  • 他人を絶対勧誘しないこと
  • 毎月実家に帰ること
  • 修士はとること

という約束を交わした。

 

 

1989年9月には、出家を促されるが、母親との縁を断ち切ることができずに断っている。

11月に坂本弁護士一家失踪事件を知り、オウムの関与を疑ったが、「国家の陰謀だ」と言われて、

1995年に逮捕されるまでずっと信じ続けていた。

 

 

高額なオウムの教材やセミナーを購入したりで、教団への借金がかさんでいった。

 

そのため、アルバイト先の学習塾の親からお金を借りるようになったり、

アルバイトに明け暮れるようになった。

そしてバイトで得た50万円ほどのバイト代を全額教団に注ぎこんでいった。

 

 

学習塾、家庭教師の立場を利用し、教え子をオウムに勧誘したりするようになったので、

土谷が入信させた高校生の親から抗議を受けた両親は1991年7月13日に話し合いをするためにアパートに訪れる。

しかし居留守で会うことはできなかった。

 

 

土谷は、

翌々日に現代のお助け寺と呼ばれる、沸祥院、茨城県出島村(現在のかすみがうら市)に強制的にに預けられた。

元信者である、永岡辰哉や、両親が1か月にわたり説得したが、土谷は聴く耳を持たない。

オウムが街宣車などで施設に乗り付け、

「尊師が呼んでるぞ」

「監禁するな」と猛抗議。

町田の実家付近に「土谷正実くん不法監禁される!」という嫌がらせのビラをまいたりもした。

 

 

土谷は両親、弟妹、勧誘した生徒の親の前で

「オウムをやめるといわなければ殺すど」

母親は「いえ、私が殺します」

と言われた。

 

 

その後、土谷はスキをついて逃げ出し、

1991年9月5日に出家。

 

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土谷正実の両親。息子を奪還するための戦い

このように、土谷正実の両親は、他人に迷惑をかけ始めた息子を心配し、

教団から取り戻そうと全身全霊で尽力していたことがわかる。

親のあるべき姿を見たように思える。

 

 

この辺り、息子の入信をきっかけに、

自身らも入信した井上嘉浩の両親とは根本的に異なっている。

 

 

しかし、

逮捕後、築地署にやってきた両親を土谷は拒み続けた。

両親に対しては複雑な思いを抱いていたようだ。